天神山滞在ブログTenjin_blog

【滞在者紹介】前半_黃美諺(ウォン・メイ・イン・ヘーゼル)_インタビュー[日本語訳]

 

 

ペインターやzine(ジン)発行者として香港を拠点に活躍中のアーティスト、黃美諺(ウォン・メイ・イン・ヘーゼル)さん。

2018年の初滞在に引き続き、2021年1月から約半年間、天神山アートスタジオで2度目の滞在制作を行いました。

この記事では、2回に分けて実施したインタビューより【前半】の一部を抜粋してご紹介します。

★【前半】の全編PDFはこちらから閲覧できます。

 

【前半】ダイジェスト版目次

    1. 自己紹介
    2. 美術を始めたきっかけ
    3. なぜ制作するのか
    4. 制作のテーマとプロセス
    5. zine製作と活動発表の場について
    6. 京都、瀬戸内国際芸術祭、地中美術館から天神山へ
    7. 天神山アートスタジオでの最初の滞在(2018年)から2度目の滞在(2021年)まで
    8. アーティスト・イン・レジデンスについて

 

● 自己紹介

―簡単に自己紹介をお願いします。
黃美諺(以下、HW):皆さんこんにちは。黃美諺です。香港出身で、2015年に香港浸会大学の視覚芸術学科を卒業しました。私の実践は絵画とzine制作―自費出版のようなものです―に特化しています。紙や書籍、雑誌などの印刷物が大好きで、それから音楽と自然も好きです。趣味は考えごと、散歩、食べること、眠ること(笑) 実はいま日本語を勉強していて、天神山には半年間の滞在予定ですが、もう5ヶ月経ってしまいました。

 

● 美術を始めたきっかけ

―制作を始めたのはいつ、どのような経緯で?
HW:お絵かきは3歳からしてましたが、制作という感じではなくただ絵を描き始めたというだけ(笑) 制作をしようと意識してはじめたのは、18歳くらい?高校生のときです。その高校がとてもよくて。批判的に思考するにはどうすればいいか、なぜ私たちのまち香港の政治的問題に目を向けるべきなのか、といったことについてたくさん教わりました。
―では美術系の学校ではなかったんですね?
HW:いえ、美術高校でした!
―そうなんですか!地域の政治の状況を批判的に考える方法を美術学校で教えているなんて、気になります。
HW:ですよね。その学校は香港のほかの学校とはかなり違っていたので。
―どんなふうに?
HW:香港の普通の学校では、批判的思考をあまり教えません。教科書を読んで勉強するだけ。でもその学校は創造性を大事にしていたので、芸術家や芸術を学んだ教師を呼び寄せて[批判的思考を]教えていました。私自身、その高校からはとても大きな影響を受けています。

 

● なぜ制作するのか

-制作のモチベーションやインスピレーションはどこから?
HW:モチベーションからお話ししますね。世の中についていろいろと思うことがあっても、私はそれを言葉で表現するのがあまり得意ではありません。母語でもどんな言語でも苦手です。そういうことなので、美術の制作は私にとって、自分自身や自分の意思、自分の感情、たとえば悲しみや怒り、気にかけているなにかへの愛を表現する、一番の方法なんです。それがモチベーションですね―[むしろ]それしかできない!それからインスピレーション。以前お話したかもしれませんが、簡単にいえば、作品の源泉はだいたい私の日常生活にあります。なんてことない、日常生活の、ちょっとした決定的瞬間。大したことじゃなくても、私はそういう瞬間を大事だと思っています。

 

● 制作のテーマとプロセス

―では、作品について教えてください。ヘーゼルさんの作品の主眼はどういったところに置かれているのでしょうか?
HW:私はこれまでずっと、自分の身のまわりや都市での生活から生まれる、経験や感情、想像上の事柄に関する作品をつくってきました。実際の経験や想像を絵画やzineを通して伝えるために、だいたいいつも物語形式にするかまとめていくつもの作品をつくります。絵を描くときには紙やキャンバスではなく、必ず木製パネルを[支持体として]使います。キャンバスは好きじゃなくて…たぶん木のテクスチャーが私の描き方に合っているんだと思います。絵具を擦りこませるので。こすりつけるというか。そういうやりかたは木材くらいしか受け付けてくれないし笑、最終形態に持っていくまで何度も何度も擦りこませるので、やっぱり木材に描くのが好きですね。
―なるほど。
HW:画材以外だと…私の作品はいつもとても小さいです。たぶん私の性格なんだと思います。それか技法かも。手でこすりつけるので。私はきまってごくごく小さいものや細かいことに惹かれますが、大作よりも小さな作品を作りたいというのはそういうところから来てる気がします。これは私のつくったzineなんですが― [*「otto(オー・ティー・ティー・オー)」第6号を取り出す] ―すごく小さいですよね笑
―手のひらサイズ!
HW:[*制作中の絵を取り出す] これもそう。大きい絵は、やってみたことはあるんですが私の性格にしっくりこなかったです。
―先ほどおっしゃっていた作品テーマ―都市での暮らしなど―には、どのような視点から取り組んでいるのでしょうか?
HW:お話ししたように考え事と散歩が好きなので、道を歩きながら―これは香港で制作するとき特にそうですが―些細なことに目を向けるんです。顔の表情や些細なジェスチャー、街にだれかが残した些細な痕跡とか。それから街の景観も。香港の街並みには面白いところがたくさんあるので、風景は「すごい、おもしろい!」って思います。[そうしていると]たとえばちょうど、現実から私のイメージに変換させたいアイディアや空想が出てきたり。そういうとき絵を描いてzineを作ろうとなります。

 

 

 

zine製作と活動発表の場について

―制作はひとりで?それとも共同作業者やコラボレーターがいますか?
HW:絵は、ほとんどの場合私ひとりで制作します。ですがzineに関しては、2017年に友人のティファニーと共同で立ち上げた「otto」というブランドがあるので。もう4年経ちましたね!これまでいろいろなアートブック・フェアや展覧会にも参加してて、そうですね、2人で一緒に作っています。それぞれ個人でもzineを販売して皆に広めています。
―さきほど絵を描くところからはじめた、あるいはお絵かきから、とおっしゃっていましたが、zine製作はどういった経緯で?
HW:2015年に大学を卒業して、直後の2年間は絵や「芸術作品」と呼ばれるようなものを提げて展覧会に何度か出品していました。どうみても普通の、「美術作品」です。その2年間で、私の物語や考えていることを伝えるのに十分な機会がないなと感じたんです。そこで、紙や印刷物が好きなんだから自分のzineブランドを作ってみれば、自由に発行することもできるしいいんじゃないかと思いました。自分の芸術作品を発行して、好きな時にそれをみせられる。展覧会やギャラリーのルールに従う必要はないし、他人から誘ってもらうのを待つ必要もありません。そんなことで、卒業の3年後にzineをつくり始めました。
―とてもスマートですね。
HW:実は最近、ここ3年で、zineをやる人たちがどんどん出てきていて。香港の商業的なアートワールドにぼーっととどまっていたくはないということなのかもしれません。私たち自身でやりかたを生み出せるわけですから。
―作品発表のオルタナティブなやりかたを。
HW:そう。実はたくさんあるんです!
―とても興味深いです。出版と美術館での展示以外には、どういった場面で作品発表を?
HW:いろんな場所で発表してきましたが、主に香港のインディペンデント・スペースに集中しています。私は小さめの場所のほうが好きなので、zineや絵はいつもどこかのインディペンデントな書店やスペースで展示販売しています。そういうところのほうがずっと融通が利くし、いい人も多いです。

 

● 京都、瀬戸内国際芸術祭、地中美術館から天神山へ

―天神山アートスタジオのことはどういった経緯で知りましたか?当館に来ようと思われたいちばんのポイントは?
HW:まず、私が日本を好きな理由からお話しするのがいいかもしれません。ここへ来た理由にもつながってきますから。2016年、私ははじめて京都に旅行をして、瀬戸内国際芸術祭にも足を延ばしました。芸術祭については知ってますか?
―はい、ものすごく大規模な芸術祭ですよね。
HW:そうです。私にとってはすごく力強い芸術祭でした。[京都と瀬戸内国際芸術祭での旅中、]気づいたときには、日本の印刷物とその美学にすっかり魅了されていました。その美しさの哲学。日本の「美学」。とても気に入りました。出版物はもちろん空間のしつらえ、芸術作品を展示するためのアートスペースの活用の仕方…[これらは]私の実践にとってとても魅力的でした。それに、そういう見方を知ったのははじめてだったので、とても力強い感覚がしました。そういうわけで、ネットでアーティストインレジデンスのプログラムを検索し始めて。そして天神山アートスタジオを偶然見つけたんですが、実はそれまで北海道に行ったことがなく、どういうところか見当もつきませんでした。ただ写真を見て、すごくよさそうな場所!と思って。その写真につられてここまで来ました。2018年の夏、私にとって初めての天神山にはそんな経緯で辿り着きました。
―京都と瀬戸内で見つけた美学からの影響をご説明くださいましたが、なかでもどういった美学をご自身の実践と親和性があると思われたか、もう少し詳しく教えてもらえますか。
HW:これはきっと性格のせいかもしれませんが、私はごく些細で小さなものが好きです。そして日本では「微の美」をみることができました。これがとても気に入りました。芸術祭では美術館も数館まわることができましたが、なかでもとても刺激的だったのが、直島の地中美術館。あの美術館は、もう本当に、一番お気に入りの美術館です。中には3点しか作品がありませんが、どれもとてもうまく展示されていて。それに[館自体が]自然とあわさっていたのもすごくよかった。検索するとネットで何枚か写真がみられますよ。この美術館はものすごく気に入りました。

 

天神山アートスタジオでの最初の滞在(2018年)から2度目の滞在(2021年)まで

―天神山での滞在制作は今回が2度目ですね。最初の滞在について、どのようにお考えですか。人生やキャリアになにか影響はありましたか。
HW:最初の滞在はとにかく素晴らしかったです。想像をはるかに超えてきたので、とにかく素晴らしかったと言っていいでしょう。それに、人生とキャリアには確実に大きな影響がありました。もうすこし説明しましょう。すでにお話ししたとおり私は自然が大好きで、ここでの生活の仕方やリズムが大好きです。とにかく私の性格にぴったりなんです。それから、国内の他の街とくらべても、ここはかなり違っていると思います。最初にここへ来たときは1ヶ月ほどの滞在でしたが、一生をかけてなにをしようか考えさせられました。でも1ヶ月だけだったので、本当に考えるには短すぎて。私にとっては十分じゃなかった。街をもっと探索したり、北海道のことをもっと詳しく知りたかったんです。きっと最初の滞在のときの感覚はちょうど…ファンタジー、ですね。ここのことをなにも詳しく知りませんでしたから。なので、それも私が[札幌に]戻って来て答えを見つけたかった理由の一つです。そして香港に戻ったあと、どうすればここ[*札幌]にもう少し長く滞在できるか考え始めました。ワーキングホリデーも考えましたが、ワーホリ自体好きじゃなかったので、『じゃあ留学する?』…でも芸術系の学校が見当たらない!(笑)
―ですよね、札幌には美大がない(笑)
HW:それで手詰まりになって(笑) でもどうしてもここに来たかったので、なんとか方法を見つけました。『じゃあ“語学”留学する?』と。ここに戻ってくるための―今回は1年間ですが―言い訳のようなものでした。そうやって、2回目の滞在を計画しはじめました。ですが最初の滞在のあと、香港で大きな政治の混乱が起きて。それで計画はとりあえず置いておくことにしたんです。さらにそのあとは、コロナで将来のことをまったく計画できなくなりました。きっと世界中の誰もがそういうかんじだったと思います。なので当時は、計画を懐にしまいながら、もしかして短期でならここに来られるかもと考えたりしていました。ですが突然、偶然、そして幸運なことに、1月にもう一度ここへ来られることになりました。今でもときどき、これって現実じゃないみたいだと思います。でもここまで来ました!
―よかったです!
(中略)
HW:それと、香港のデモのあと若い人たちがたくさん出国しました。なかにはもう香港に戻ってこられない人たちもいます。今年、天神山に来る前は、そういう人たちがどう感じていたか想像できませんでした。故郷に二度と戻って来られないなんてどんな感じだろう?異国で香港の報道を目にしながらひとり暮らしをするなんてどんな気持ちだろう?と。でも今はすこしだけ彼らの気持ちが分かる気がします。もちろん全然違います、彼らは二度と戻れないけど私は戻れます[から]。でもこれは私にとって、香港のそとにいる香港の人たちの気持ちを考えるための時間でもあります。

 

アーティスト・イン・レジデンスについて

―アーティスト・イン・レジデンス(以下、AIR)について、どうお考えですか?AIRは必要だと思いますか?ご自身の実践においてAIRはどのような意味を持っていますか?
HW:AIRはすべてのアーティストにとってすごくいいと思います。実は私自身は人生でたった2度しかレジデンスに滞在したことはないんですが。ひとつは天神山で、もうひとつはアイスランド。アイスランドには天神山での初滞在の翌年に行きました。
―2019年?
HW:そう、2019年。そしてどちらの経験も、私の人生とキャリアを大きく変えました。アイスランドのレジデンスも大好きです。お伝えしたように何度も日本に来てはいるのですが、ただの旅行者として以上に、アーティストという意識でまちを探索するのがとても好きです。アーティストとしてなら、文化や先々の土地のことをより深く知ることができるからです。それに、ここでまちやほかのいろんな場所や人たちを探るためのいい言い訳にもなります。それからどちらのレジデンスでも重要な人たちとの出会いが何度かありました。私がたくさん影響を受けた友人やアーティストとの出会いです。これはとても重要で。いろいろな人たちと出会うといろいろな国に関する話や考えを交換できて、お互いから学べます。そこで出会った人たちが、それまで私の知らなかった異世界を想像させてくれるんです。それはとてもいいことだと思います。
―なるほど。
HW:それからどちらのレジデンスも―アイスランドもここでの2度目も―香港のデモのあとでした。なので私にとっては距離をとる方法、香港の状況をかえりみる方法でもあります。[レジデンスが]新しいことに挑戦する機会をくれました。香港にいた頃は毎日、あまりにニュースに気を取られていましたから。でもこうしてここへ来てみると、[自分と香港とのあいだに]距離があるので、しっかりしようと。より部外者として考えてみようと思えるんです。もちろん今でも香港のことはとても気がかりですが、香港についての作品をつくるためにこの距離を利用して回想するというのは、かなり興味深いことです。それと私にとってレジデンスは、いろんなアーティストと話す格好の場でもあります。

 

―――――――

 

念願かなって、しばし札幌市民として暮らしながら制作することになったヘーゼルさん。【後半】では、去る夏に開催された個展『若芽色のメガネ』(さっぽろ天神山アートスタジオ)と2度目の天神山滞在について、じっくりお話を伺いました。あわせてお楽しみください!

 

 

(さっぽろ天神山アートスタジオスタッフ 五十嵐)