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【おとどけアート】札幌市立伏古小学校×進藤冬華 活動ブログ10

札幌市立伏古小学校でのおとどけアート10日目。

 

当初予定していた活動期間でいうと本日が最終日となるはずだったのですが、状況をもっと観察したくなったアーティストの進藤さんは延長を希望。

学校も快く(?)オッケーしていただき、3月にかけてまだ数日活動ができることになりました。

 

一応10日目ということで、何となく節目となりますので、本日のレポートは「観察」と「記録」と「時間」について書いてみたいと思います。

 

進藤さんが現在行っている行為が、まさに観察と記録、なわけですが、、、

これまでも本ブログで紹介してきましたが、何を観察しているかというと、日々目の前で起こる(起こす?)現象とその反応、そしてその影響について。

以前のレポートでもお知らせした通り、アーティストが自ら仕掛けるアクションに対する子ども達のリアクションを観察していくことから今回の活動は始まったのですが、その仕掛けのほとんどはスルーされてしまいました。

 

*例えば画像のような仕掛けを施しても瞬時に壊されて終わる(そりゃそうだ!)

 

逆に自然発生する出来事に目を向け、その状況と変化に寄り添って生み出していく仕掛けを考えていくとまた別な反応や変化を生み出していくということに気付いてからは、観察の対象や方法、その後の記録に関する考え方も変化してきました。

 

*アーティストが持ち込んだ段ボールをつかって遊びたい子どもが自分の使いたい段ボールを隠している様子を観察

 

例えば、目の前で起きていること、発せられた言葉、考えたことを記録していく巨大なメモ用紙がその記録媒体となっており、そこで書かかれたこと(情報)を手がかりに私たちコーディネーターもブログを書いたり、何かの話題を改めて話し合ったりしています。

観察の過程で確認できた本当に取り止めのないことから、確信をついた言葉まで、様々な事柄が記録されていきます。

 

 

その延長線上にあるものとして、印象的な言葉の掲示。

どのような反応が生まれるか試すところから始めたこの行為は、その言葉の背景にあるエピソードと合わせて重要な記録物として存在しています。

その言葉をいつ、どこで、だれに、どのような状況で受け取ったのか。

観察し記録をしている進藤さんや言葉を発した本人、おそらくそうした当事者にしか語れない思考の断片が、その場に居合わせていない他者にもなぜか強烈に突き刺さってくるものもあります。

 

 

 

また、進藤さんが自宅で書き起こしている日記。

毎回学校に通うたびに更新され掲示されていきます。

かなり赤裸々に感じたことや考えたことが書き綴られてるその理由は、学校内で起こる様々な出来事、問題に先生達が私たちに隠すことなく対峙している様子を見て、自分の行為や考えもオープンにしていく方ことがフェアだと考えたとのこと。

特に高学年や先生方の中で、評判となっているこの日記は、最終的に記録としてどのようにまとめられていくのでしょうか。

 

 

そして、観察において重要なのは時間とタイミング。

比較的子ども達や先生が自由に動き回る中休み・昼休みという休み時間が観察のゴールデンタイムではありますが、実はその前後に潜む隙間や余白の時間が重要だったりします。

例えば中休みと授業の間や、給食時間と昼休みの間には、何となく曖昧な時間が存在します。

 

「準備の時間」と呼ばれている場合もありますが、そこにはおそらく担任の先生の裁量で比較的自由に活動するクラスもあればそうではないクラスもある。

おとどけアートで活用しているなかよし広場では、そうした隙間や余白の時間に子ども達と先生方の駆け引きが生まれます。

帰りの会(ホームルーム)終了後から放課後の下校時間までの間の何となく曖昧な時間の使い方は絶妙です。

 

先生と子ども、子ども達同士の関係性、そして我々との関係性も含めてとても顕著にある種の実態が浮かび上がってくる瞬間を見るわけです。

 

まだこのあと数日間継続することも含め今回の活動において、「観察」と「記録」そして「時間」の関係が、最終的にこの活動が何だったのかを物語る重要な鍵となることを今回のレポートでご理解いただけると幸いです。

まだまだ活動は続きます。

このあと状況がどう変化していくのかお楽しみに!

 

コーディネーター:漆