札幌市立伏古小学校でのおとどけアート5日目。
些細なことであったとしても普段とは違う何かしらの現象を起こし、その反応と影響を観察したいと考えているアーティストの進藤さん。
5日目にまず行ったのは、模造紙を床に置くということ。
毎日模造紙に気がついたことや発見したこと、そして子ども達や先生方から言われた言葉などを書き留めていく。
そのことを習慣化していくことに決めたときから考えていたことなのかは定かではありませんが、本日はテーブルやホワイトボードを使わず、ふれあい広場の入り口から内側に無造作に模造紙を置いて、休み時間を待ちます。
中休み。
なかよし広場にやってきた子ども達は、入り口の目の前に置かれた模造紙に、一瞬戸惑いながらも、それほど躊躇することなく中に入ってきます。
「何でこんなとこに置いてるの?」
「何か書くの?」
至極当然の質問を投げかけてきます。
これまでの4日間で既に日々書き起こした模造紙を柱に掲示していることを何となく把握している子ども達には、それほど違和感を与えることはできなかったかな?と。またしても肩透かしを食らったような感覚を覚える我々観察者一同。
とはいえ、集まってきた子ども達とたわいもない話をしながら、
「何か書いてもいいよ!」
「学校のことや、何か気がついたことあったら教えて!」
など、適当な話をしながら模造紙に文字を書いていきます。
ここで、床に座るという行為が伴ったことで、椅子に座ってテーブルの上で模造紙を広げた時よりも、なぜかリラックスしてコミュニケーションが図れることに気がつきます。
「床に座るっていいね、、、。」
アーティストの呟きは、次の展開への予告でもあります。
さて、進藤さんが本日もう一つ試したかったことがあります。
それは、用意した映像を密かに校内放送を使って各教室に流すというもの。
偶然教室のテレビをつけたら学校では見ることのない進藤冬華セレクトのユニークな動画が流れているという、、、。
さっそく放送室をお借りして仕込みます。
誰もいない教室で確認!
そして、偶然通りかかった4年生の先生にそのクラスだけ偶然を装ってテレビをつけてもらうお願いもして、準備万端!
さて、どんな反応が得られるでしょうか!!!
テレビをつけていないクラスに噂が広がって学校中がその動画を見るような現象が起こるのか!?
はたまた怪奇現象として語り継がれていくのか!?
給食が終わり、映像を流す予定の時刻になりました。
4年生のクラスをさりげなく覗きにいくと、先生が予定通りテレビをつけてくれていました。
数名の子どもが、
「なんか写ってる!」
「なにこれ!」
「ちょっと気持ち悪い!」
と、反応はしてくれたものの、すぐにテレビの前からさってしまいました。
クラス担任の先生は、私たちから課せられたミッションを全うすべく、テレビのそばでずっと様子を見ていてくれていますが、、、
それ以降子ども達がテレビに注目することなく、、、
昼休みが終了!
ま、またしても、アーティストが仕掛けたことには期待するような、あるいは期待を大きく裏切るような反応は得られず!
先生!申し訳ありませんでした!!!
で、まぁ結局ですね、この5日間アーティストが持ち込んだ仕掛けは、ことごとく特異な現象として受け止められることもなく、肩透かしを食らったわけで、、、
逆に副産物的に気づかされることや、発見することの方が面白いし、そもそもこの学校で日々起きている出来事やちょっとしたトラブル、不可解な子ども達の行動の方が興味深く、様々な反応と影響をもたらして現場が成立いることを思い知らされるわけです。
例えば、こんな場面に出くわすわけです。
これは隠れんぼをしているわけではありません。
誰かと揉めたのか、喧嘩したのか、何か不都合があったのか、気がついたらとひとりの男の子が私たちが間借りしているなかよし広場のテーブルの下に引きこもってしまった場面です。
そして、なかなか出てこようとしません。
気がついた別の学年の女の子が声をかけますがどうやら反応しないようです。
もしかしたら誰かが彼を探しているかもしれません。
小さな出来事ですが、その前後にどんなストーリーが存在しているのか、とても興味深い場面です。
もう一つの例は、本日の昼休みが終わる頃に起きました。
休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴っても、数名の子ども達が教室に戻らず何やら騒いでいます。
話を聞くと、何本かの長縄跳びの縄が絡まって解けないとのこと。
観察者である我々は、その様子を黙って見ていました。
脱線と喧嘩を繰り返しながら試行錯誤しています。
*コーディネーターの内心「この子達はいつまでやっているんだろうか、、、。」
結果15分ほど経ってようやく縄がほどけたころ、担任の先生が子ども達を呼びに来ました。
*コーディネーターの内心「そりゃ先生くるだろうな、、、。怒られるんだろうな、、、。」
先生は、なぜチャイムが鳴ったのに教室に戻ってこないのかを問い掛けますが、子ども達は目の前で起きていたこと(縄を解いていたこと)をとにかく説明します。それによって教室に帰れなかったと。
*コーディネーターの内心「それでは先生は納得しないだろうな、、、。でも子ども達の言い分(気持ち)もわからないではないな、、、。」
当然のことですが原因も知らないし状況もあまり飲み込めていない先生。
もしかしたら教室に戻るより縄を解いて遊んでいた方が楽しいとおもっていることを何とか正当化したい子ども達。
そのの両者の議論は平行線です。
観察者の我々は、何故かドキドキしながらこの状況を眺めていました。
また、この放課後、ふれあい広場に顔を出してくれた5年生の先生と今日あった出来事などをお話しする機会がありました。
そこでは、5年生の子ども達の反応や、先生の感じていることなど、いろいろ聞かせてもらうことができました。
対話の中で、改めて今回アーティストが何をやろうしているのか、少しづつ見えてきていることをお伝えして、その反応を伺います。
こうした先生方との何気ないコミュニケーションにも、活動のヒントや、発見が潜んでいることにも気づかされます。
小さな出来事だとしても様々な感情が揺さぶられる出来事が繰り返されている学校。
自分たちから仕掛けてたことがあまり成果を見出せない状況の中で、むしろ普段起きていることに寄り添った仕掛けをしっかり観察していく方が今回の取り組みとしてはその後の様々な影響を察知できるのではないか、、、。
今回の活動も折り返し。
次回はどのような出来事が待っているのか。
お楽しみに!
コーディネーター:漆