天神山滞在ブログTenjin_blog

【滞在者紹介-Resident】是恒さくら_インタビュー(Part.1くじら編)/ Sakura Koretsune_Interview [Part.1 Whale]

4月から滞在中のアーティスト、是恒さくらさんです。2年前の2018年度AIR勉強会にご参加いただいたり、フリーペーパーを配架させていただいたりと天神山アートスタジオと縁のある美術家さんの一人です。

そんな是恒さんの活動についてお話を伺いました。貴重なお話を贅沢にもたっぷりいただきましたので2回に分けてご紹介します。
まずはPart.1 くじら編から!

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―  是恒さくらさんにお話をいただきます。自己紹介からお願いできますか。

是恒:はい。私は広島県の倉橋島という島がふるさとで、島で生まれ育ったので実家が海から10mも離れていないくらいだったので毎日窓の外は海、みたいな場所で育ちました。中学校卒業まで島にいて生活をしていまして、高校は島の外にでて寮生活をしてその後アラスカの大学に行き先住民の芸術を勉強しに行って。
そのあたりから人と他の生き物の関係というか。アラスカも元々先住民の人たちが狩猟採集生活をしていた土地で、野生動物と人とのかかわりも深いし人間の世界がもっと広い野生動物の世界のごく一部にあるような感覚で暮らしが営まれているというか。先住民の芸術は狩猟で取ってきた動物の皮とか、あるいは流木を拾ってきたものとかその自然の中で手に入るものでものづくりがされているっていうようなところがあって。
もともと高校生の頃から木彫をやっていたんですけど、あまりそのまま日本の大学で彫刻を学ぶとかいう方向には興味がなくて、むしろ人が物をつくるっていう行為が大きな自然の巡りの中の一部として存在するような世界に漠然とあこがれを持っていて。それがアラスカだったりカナダだったり、先住民の人たちがつくる物作りにはそういうものがあるんじゃないかと思って興味を持ったんです。
アラスカ大学フェアバンクス校というところで美術を専攻して4年半在籍して美術の学士で卒業して。その間大学で勉強するだけじゃなくて、割と夏休みとか3ヵ月あって長期の休みがあったのでアラスカ州内のいろんな先住民の人たちの村に居候させてもらったり、大学の友達でも先住民にルーツを持つ人たちがいたので、いろいろ訪ねて回ったりして。動物の皮なめしとか、あるいは刺繍とか、あとは川でサケを取ったりとか色々と教えてもらっていました。
その後、アラスカの大学を卒業してから日本に戻ってきて、実家がある広島県でいろいろな仕事をしながら表現活動を続けていて。その後縁があって2015年から山形県に住んで、東北芸術工科大学という大学の大学院に”もう一回勉強しなおしたいな”と思って入り直して。その頃からこの『ありふれたくじら』という活動を始めたんですね。


(『ありふれたくじら』 Vol. 1 ~6)

 

「いろんな土地の人たちにとっての、日々の生活の日常的な鯨のあり方、鯨の姿を描きなおす」

是恒:よく”なんで鯨なのか”っていうふうに聞かれるんですけど、何か一つ大きなきっかけがあってというわけじゃなくて、いろんなことが積み重なって鯨への興味に結びついたような気がしていて。アラスカに住んでいたころにアラスカの先住民の人たちもくじら漁をやっていて、鯨をとって食べるグループもいるんですけれど、そういう人たちにとって、日本人も同じように鯨を食べる人たちということですごく親近感をもって接してくれていたんですね。アラスカってちょっと他の州とは離れているけれどアメリカの州の一つだから。アメリカっていう国はずっと捕鯨に反対する立場を取り続けているんですよね。でも先住民の鯨漁は先住民生存捕鯨っていう形で、生存のために必要な昔からの伝統として存在している鯨漁として許可をされている鯨漁で続けられていて。アラスカの中では鯨肉の売り買いはされていなくて、自分たちの消費の為に鯨漁をして肉を食べているんですけれど。そういう鯨の肉とか、あとは皮のすぐ下の脂身の部分とか美味しいんですけど、アラスカにいた頃はよく先住民の知り合いからお裾分けでもらっていたんですよね。”あなた日本人だから鯨好きでしょー”みたいな。
その体験があって、でも一方で世界的なニュースに目を向けると日本の捕鯨はバッシングの対象になっているというか。その違いって何なんだろうな、って思い始めて。鯨って日本の中でも、今いろんな人に話を聞いても捕鯨問題のことばかりがイメージされるんですけど。本当はいろんな土地で昔から語り継がれていた物語があったり、あるいは地名に鯨の由来があったり、あとは鯨漁がその土地の生活を形作っている要素でもあって。単なる食料でもなくて”肉を与えてくれる存在”としてお墓があったり弔われていたり。もっと複雑な見方をされてきたし、いろんな物語があるんだけど捕鯨問題っていうごく偏ったものに集約されてしまっているというか。もっと、例えばアラスカの先住民の人たちが日本人に対して思うこととかあるいはその逆とか、捕鯨問題以外の視点で見ていくと実は鯨によっていろんな土地の文化とかそこで暮らしている人たちの考え方が結びついてくるんじゃないかなと思い始めて。それでこの『ありふれたくじら』っていうタイトルでいろんな土地の人たちにとっての、日々の生活の日常的な鯨のあり方、鯨の姿を描きなおすというか。ちいさな物語をたくさん集めて大きな姿を描き出すようなことをしていこうと思って、いろんな土地を訪ねて鯨の話を聞いてそれを文章にまとめるとともに布に刺繍をした作品で発表してリトルプレスとして広めているっていうことを続けているんですね。

―  今実際にリトルプレスで発行されている冊子をお持ちいただいています。タイトルのところにvol.1~6といろいろな土地の名前が書かれていますが、実際にその土地にリサーチにいかれたということですか。

是恒:そうですね。最初は山形県に住んでいるころに始めた活動だったので、山形県から一番近い鯨にかかわる土地が捕鯨の基地として知られてきた宮城県石巻市の牡鹿半島の鮎川浜と、その対岸に網地島っていう島があってそこに通い始めて。捕鯨に関わっていた人たちとか、網地島のほうは直接捕鯨には関りがなかったというか、船員だった人はいたようなんですけど、それよりも寄り鯨/漂着した鯨にささげたと思われる石碑が残っていて。どうもその網地島があるとき飢饉に襲われて食べ物がなくて苦しんでいた時に、鯨が打ちあがってその肉を食べて飢えをしのいだ事柄から石碑が残っている場所があって。本当に対岸でお互いの島と浜が見えるような距離なんですけど、単なる捕鯨の話だけでもない、昔から鯨にまつわる物語が残っていたんです。

―  私も一冊だけですが読ませていただいて、昔から伝わる話で生活につながる身近な話が多くて。今そこに住まれている人の話をそのまま載せていて。自分たちは普段あまり鯨を見ることも食べることもないけれど、こうやって口伝で聞くと親近感が沸いたり特別な印象になったりしました。すごいなあと。『ありふれたくじら』はこの後も連続して発表されるんでしょうか。

是恒:そうですね。今はまだ発行する時期は全然目途が立っていないんですけど次の号は北海道の話の号を作ろうと思っていて。

―  今札幌に滞在されていますけれども、この滞在自体は鯨についての調査やまたほかのリサーチに関係する滞在という感じですか。

是恒:そうですね。もともと私のリサーチのあり方というか、ある一定の時期だけであまり完結しないところがあるので。実は北海道の主に苫小牧とか小樽とかせたな町の昔鰊漁や鰯漁が大々的に行われていたような土地で鯨が大漁の神様として骨を祭っているようなところがあるんですね。それはどうも漂着した鯨の骨だったり、あるいは網にかかって死んだ鯨の骨だったりで。鰊とか鰯を捕るときに、どうも鯨も同じように鰊だったり鰯だったりを追いかけてくるというか。一緒のエサを食べているか魚自体を食べているかして一緒にやってくるので、鰊や鰯を捕っていた人たちにとって鯨が魚をつれてきてくれるというふうに考えられていたらしいですね。実はそれは北海道の南部だけではなくて、東北の青森県とか岩手県とかにも同じような考え方が残っていて。鯨がありがたい存在、大漁の神様として見られているような場所があるということを知って。この2~3年くらいですかね、そのことが気になって北海道だけじゃなくて東北を含めてその物の見方がどこから来たんだろうとか、どういう風に考えられていたんだろうとか気になって調べていて。ずっとリサーチとしては継続してきたんですけど、今回札幌に滞在しながらもっとじっくり調べつつ何か作品として形にしていきたいなと思っていろいろと取り組んでいるところですね。
あとは苫小牧の美術博物館で来年の1月から展示があるのでその時にも主に苫小牧での鯨の骨の信仰とか、鯨ってどんな存在だったのかとかを作品にしているところで。それを発表するってところもあって取り組んでいるところですね。
本になるのはいつかはわからないんですけど、今ちょっとずつ刺繍作品にしてみたりあるいは追加でいろいろ調べたり文章をちょっとずつ書き始めたり、それでじわじわと本が出来ていくだろうなと状況ですね。

 

「言葉を織っていくと文章になるし糸を織ることで布になる」

―  本を読んでいくと、これは刺繍の写真ですかね。

是恒:スキャンをしたイメージですね。

―  リサーチを進めていく中でストーリーを刺繍に落とし込んでいるんだと思うんですけれど、なぜ刺繍を選ばれたのか聞きたかったんです。

是恒:ひとつのこの本『ありふれたくじら』の軸になっている考え方で、もともとtextっていう単語とtextileっていう単語が語源が同じものだったんですね。ラテン語のtexereっていう、織るっていう動作を表す言葉で。なので、言葉を織っていくと文章になるし糸を織ることで布になるっていうことを知って。今は別々のものなんだけれど語源をたどると同じような動きであって。それが鯨の存在も、今は捕鯨問題だったりある特定の見方でしかみえなくなっているんだけど、そのイメージをまた解きなおすような、解きなおしては見直すようなことを言葉と布の二つのイメージの重なりから作っていく、それをまた繕うような作業が出来ていけるんじゃないかなと思って刺繍を選びました。なんか刺繍って、この『ありふれたくじら』の本もなんですけど、表と裏でわりと違うものに見えるんですね。鯨っていう存在も一つのものとしてあってもいろんな方向から見ることによって全然違うものに見えてしまうというか、それは立場の違いであったり文化の違いであったりなんですけど。でも実は一つのものなのかもしれないっていうということが、刺繍だと両面見ていくことで違う見方ができるので面白いなと思って。

―  (冊子の)どこかにも書いてあったかと思うのですが、ストーリーを色んなところでリサーチして集めることが、離れている土地だとか別の文化だとかを陸続きにするような活動でパッチワークキルトみたいだというところが心に残りました。

是恒:そう、この本がだんだん集まっていくと一つにつながっていくというか。パッチワークになって一つの大きな鯨のイメージになるのかなと。

(2021年5月21日 インタビュー)
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この後お話は鯨をいったん離れて、北海道にもなじみのある木彫熊のリサーチについて進んでいきます。
続きはPart.2くま編からご覧ください。 (深澤)

【関連Webサイト】
是恒さくら webサイト https://www.sakurakoretsune.com/