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舞台『五月、忘れ去られた庭の片隅に花が咲く』観劇リポート

2022/09/25

 

 

202299日~同16日、中島公園駅近くのシアターZOOにて演劇「五月、忘れ去られた庭の片隅に花が咲く」が上演されました。

同作で脚本・演出を務める鄭義信さん、音響スタッフの鈴木三枝子さん、そしてキャストから智順さん、犬飼淳治さん、津村知与支さん、黒沼弘己さんの計6名が、稽古と公演のため、さっぽろ天神山アートスタジオに約1か月間滞在していました。

 

【滞在アーティスト紹介】「五月、忘れ去られた庭の片隅に花が咲く」制作メンバー / 【Residents】Theater Play “五月、忘れ去られた庭の片隅に花が咲く” Team

 

このブログでは、同作を拝見したスタッフがキャストと音響にかかわる部分を中心に、公演をレポートします。(*観劇回は91219時~)

 

 

はじめに

 

1981年の北炭夕張新炭鉱事件(以下、新炭鉱事件)に取材した本作。脚本・演出を担当した鄭義信さんは、リサーチのため、2019年に夕張市石炭博物館地下の模擬坑道を訪問しました。そこでの元鉱員スタッフとのやりとりから、作品の大きな着想を得たといいます。「かつて「昭和」という時代があった。いろんな事件があった。そして、それをいまだ忘れられない人たちがいる……そのことを戯曲として残さねば、と思った」。演出家コメントからは、鄭さんが戯曲「たとえば野に咲く花のように」(2007年初演)以来取り組む、日本戦後史を独自の視点で「記録する演劇」の系譜上に本作を位置づけることができそうです。

 

 

作品の題材となった事件

 

新炭鉱事件は、戦後最多の死者数をかぞえた炭鉱事故の一つです。ガス突出事故に伴う大規模な坑内爆発により、鉱員160名余りのうち93名が亡くなりました。事件当時、鎮火の経緯は物議を醸しました。新炭鉱の経営会社・北炭が、やむなく坑内安否不明者59名の家族に坑内注水への同意を求め、苦渋の決断を強いられつつも翌日には全家庭が同意書を提出しました。

物語は新炭鉱事件から20年を経た2001年、元鉱員・岳志のさびれた炭住への再来をきっかけに展開します。20年前、なぜ岳志は炭住を飛び出さなければならなかったのか?20年後、どういうわけで突然帰ってきたのか?2001年からさらに21年後を経た2022年の客席では、おおまかに、この2つの問いが前提されていたように思います(もちろん、観る人はそれぞれの問いを持ってはいるのですが)。

 

 

キャストについて

 

智順さん演じるアケミは、とにかく底知れぬ豪快さが際立つ人物でした。がははと笑い、大声で叱り、叫びながら踊り…しまいには、本当なら逆接(「したけど」)でつなげるべき事柄をなぜか必ず順接してしまう豪快っぷり(「したっけ」)。もちろんその異常な豪快さには、追って説明が加えられることになるのですが。

 

前触れなく炭住へ帰ってきたアケミを「勝手女!」と罵倒しながら、にやけを隠せていないのは、2001年に同じ家へと謎の帰還を遂げる岳志(タケシ)。アケミとは対照的に、いつでも虫の居所が悪そうな顔です。演じるのはおなじみ、札幌座の斎藤歩さん。アケミとの間にはかつていろいろあったようで、互いとの再会が喜びでもありストレスでもあるような、微妙な雰囲気が流れます。

 

ふたりの微妙な緊張感を調停しようとするのが、黒沼弘己さん演じる岳志の兄。機嫌はだいたいよさそうですが、言葉数が少ないので周りは気を遣います。現役鉱員でもあるこの人物は、同居の岳志、アケミ、ハルヒコの経済的な面倒を見ているようす。昭和っぽい言葉遣いでいえば「一家の大黒柱」でしょうか。

 

犬飼淳治さん演じるハルヒコは、岳志兄に輪をかけて無口です。母アケミの豪快さ、勝手さに辟易する学生時代を経て、2001年には、ふらりと帰ってきた岳志に向け黙っていらいらしています。けしかけられてたまに声を出すと、変声期のすこし不安定な声調が感じられたりして、その声の重大さがしみじみ伝わってきます。

 

津村知与支さん演じる松雄(マツオ)は、2001年の場面にのみ登場します。好物のおはぎを次々頬張るシーンでは、苦しいんじゃないか、窒息するんじゃないかと手に汗を握りました。炭鉱のメタンガス突出で酸欠に陥った鉱員たちの苦しみを想像するのはむずかしくても、おはぎで窒息する苦しさは、なんとなく想像できてしまうからでしょうか。

 

 

音響について

 

新炭鉱事件を扱う本作には、もちろん事故現場となった夕張新炭鉱が登場します。この炭鉱、劇場では観客の目に見えず、われわれはその位置を坑内爆発の轟音を通して感じることになります。そう考えると、同作では音響が、物語の主題と関わるとても大事な要素なのだとわかります。

劇場で「音」はまた、独特の時間表現と結びつく場面がありました。たとえば夏から翌春へ、1981年から2001年への登場人物たちの移動は、おもに台詞と、登場人物の装いの変化といった視覚情報が説明してくれます。しかしこれと並行して、炭鉱や、時代や、観客が、登場人物とは違う「音」を通じた方法で時間を移動していたとも思います。

具体的には、はじめに昭和の懐メロ、そして古民家の木戸を揺らす軽い開錠音が、観客を少しずつ懐かしいあのころへ連れ戻す。そのあと、今では遺構となった夕張新炭鉱が、轟音に変身して怒涛のように岳志たちの、そして観客のもとへとやってくる…。音という回路を通じて、1981年‐2001年‐2022年のすきまでこのような、双方向からの時間の合流/衝突が発生していたのではないでしょうか。

このような音を通じた時間表現は、現在の私が過去の歴史的事件を一方的に再訪する場合とは少し異なった時間感覚に気付かせてくれます。見えないガスに一瞬で体の自由が奪われる感覚や、空気は吸えてもあまりに重大な決断を放棄できない閉塞感。これらと近いものが、劇場で時間の衝突に巻き込まれて動けない自分の体へ重く突き付けられているように、私には感じられました(それがなにかは、まだわかりませんが…)。

 

 

最後に

 

公演が近づくと毎朝のように、談話交流室や交流サロンで朝食をとっていた鄭さん。なぜか、共用キッチンでみかけるといつも、カレーの鍋をかきまぜていました。とうとう理由を訊きそびれましたが…気になる方はぜひ、私の代わりに劇場でヒントを探してみてください。

 

(さっぽろ天神山アートスタジオ 五十嵐)