表現活動支援プログラムHyogen_ais

創作活動支援人材育成プログラム「ハラスメントについて考える会」

2026/01/06

12月20日、外部ゲストに株式会社あやめ文化技術研究所の山田大揮さんを迎え、文化芸術の現場におけるハラスメントについて意見交換を行いました。
限られた時間ではありましたが、非常に切実で、多くの論点が共有されました。

ハラスメント問題と言っても多岐に渡るため今回は、

  1. 起きる前に(予防・環境整備:ガイドラインなど)
  2. 起きた時(当事者として:被害を受けた時、加害をしてしまった時)
  3. 起きた時(第三者としてできること)

この3点を軸に話せたら、という共有をもとに会が始まりました。

ただ、実際にはそれぞれの経験や問題意識が交差し、話題は自然と広がっていきました。

 

1.問題意識の出発点

まず、山田さんが以前行ったトークイベント「文化の現場の安全のために──ハラスメント/ギャラリーストーカー対策の現状と実践」の内容や、イベントを行った経緯について伺いました。

山田さんはこれまで、ジェンダーの問題や文化芸術分野の現場で起きているさまざまな出来事に関心を持ち、展示の場における関係性や振る舞いをめぐる課題に向き合ってきました。そうしたなかで、当事者の声に耳を傾けたり、意見を求められる立場として関わる経験を重ねてきたといいます。今回振り返ったトークイベントも、そうした積み重ねの延長線上で企画されたものだそうです。

現在もアーカイブとして公開されている当該イベントの内容を、あらためて簡単に振り返りながら、文化芸術分野におけるハラスメントの現状や課題について、参加者同士で情報を共有していきました。

(参照動画:

 

その流れのなかで、文化芸術分野におけるジェンダーバランスの偏りについて、過去の調査結果が紹介されました。ある分野では、審査員の平均男性比率が約77%にのぼるなど、立場や権限の偏りが数値として示されていることが確認されました。

また、こうした背景のもとで、過去の展示や舞台芸術の現場において、不適切な言動や身体的接触が起きてきた事例も共有されました。とくに、関係者の距離の近い表現形式では、「善意」や「作品体験」という言葉が先行することで、意図せず境界線が曖昧になってしまう場面があるのではないか、という指摘がありました。

さらに、演劇分野での調査経験を踏まえ、被害を受けた人へのケアに加えて、加害してしまった側が振り返り、学ぶための場も必要なのではないか、という話題にも及びました。行為への自覚が十分でないまま強い批判にさらされることで、かえって対話や理解が進みにくくなってしまうケースもある、という見方が示されました。

こうした話を重ねるなかで、ハラスメントの問題を個人の善意や努力に委ねるのではなく、少しずつでも仕組みとして整えていく必要があるのではないか、という認識が共有されていきました。

 

2.起きてしまった後、どう向き合うか

議論は、被害が起きた際に、

  • 被害を受けた人

  • 加害行為に責任を持つ立場の人(作家本人だけでなく、企画者・主催者など)

それぞれが、どのような行動を取るべきか、という点へと進みました。

第三者が代弁することで問題が「処理」されたように見え、当事者の当事者性が曖昧なまま進んでしまう危うさや、謝罪や説明が途中なのに終わったように扱われてしまう違和感も語られました。問題を曖昧なままにせず、企画側やキュレーターが責任をもって意思表明を行うことの重要性も挙げられました。

「風化させない」ことの大切さについては、一定期間の自粛や学習、具体的な行動があったのであれば、それを可視化し、表明することも責任の取り方の一つではないか、という意見が出ました。

問題から目を背けず、関係性や構造そのものと向き合う姿勢が重要であり、関係者同士の距離が近すぎることや、母数を増やすことで問題を曖昧にしてしまう態度は不健全である、という認識も共有されました。

 

3.予防について考える

「いまは何でもハラスメントになる」という言説は、免罪符にはならないこと、過去の事例や資料を参照しながら、具体的なガイドラインを整備していく必要性が語られました。

交通ルールの比喩が挙げられ、完璧に守られなくても、「致命的な事態を防ぐための最低限の知識」は共有されるべきだ、という考えが示されました。

被害者に「がんばれ」「自衛せよ」と求めることの不合理さや、「起こさないはずだ」という前提自体が危ういことも、あらためて確認されました。

すでに個人レベルでの自衛には限界があり、団体や第三者が介入し、レバレッジをかけることの方が予防効果は高い、という指摘もありました。
「多くの目があること」そのものが抑止力になる、という考えです。

一方で、現場によっては第三者が加害側への聞き取りを行えず、被害者ケアにとどまってしまう現状も共有されました。

「自衛=文化芸術の現場から離れること」は、キャリアを閉ざす暴力になり得る、といった意見も強く印象に残りました。

 

4.組織とコミュニティの問題

コミュニティに参加すること自体が、ハラスメントを生む可能性をはらんでいる、という視点も提示されました。
親密さや内輪性が強い場ほど、権力関係や問題が見えにくくなる傾向があります。

ヒエラルキー型の組織では、トップや意思決定層への教育が不可欠であり、マジョリティが「人ごと」でいられてしまう構造も問題視されました。

研修の必要性は認めつつも、「研修をやっているから大丈夫」という新たな免罪符になってしまわないよう、注意が必要であることも確認されました。

 

5.第三者として何ができるか

最後に、第三者の立場として何ができるか、現時点でそれぞれの意見の共有を駆け足にしてこの会を終えました。

まず何が優先されるのかについては、被害を受けた人を先に支えることではないか、という意見が出ました。
その際には、支援する側自身のキャリアが損なわれる可能性も含めて考えながら、被害者が取りたい行動を、リスクとともに一緒に検討していく必要があるのではないか、という点も共有されました。

また、公的機関の利用については、証拠がなければ動けない現実や、
場合によっては被害そのものが否定されてしまう可能性があることも踏まえ、
ケースバイケースで慎重に、そして賢く使っていく必要があるのではないか、という声が上がりました。

 

 

話し足りなさや、明確な答えのなさはありましたが、当日はおおよそ、以上のような話が交わされました。

そもそも、このテーマは簡単に結論を出せるものではない、という認識も共有されました。
そうした前提のもとで、この時間をそれぞれがどう受け止めたのか、以下に参加者から寄せられた感想を紹介します。

 

 

 

トマトさん

ハラスメントは当事者個人の問題ではなく、構造や環境、そして運営の在り方が大きく関わっていると感じた。

被害を受ける側の対策や自衛はもちろん重要だが、それだけでは不十分であり、加害者側への対応や再発防止の仕組みが欠かせないと思う。

問題を「無かったこと」にしないためには、誰がどの立場で何を担うのかを明確にし、個人に負担が集中しない運営体制が必要だと感じた。

被害者・支援者・運営のいずれもが潰れないためには、運営側がどのような態度で向き合い、仕組みとして対応するかが最も重要なのではないかと思った。

 

成田さん

ハラスメントを肯定する人はいないと思っています。それでも、ハラスメントは起こってしまいます。講座では、日本では「権力の偏りや不均衡な関係性」など構造的な問題もあり、美術界隈ではそれが顕著だということが紹介されました。構造的な問題を解消するのは、私たち(人材育成メンバー)には無理なので、主に以下の3つの視点で話し合いをしました。それぞれに私的に印象に残っていることや考えたことを併記しました。

①ハラスメント防止で出来ること:ルール(法律、規約、ガイドラインなど)を知ることが重要。そして、ガイドラインがなければ作ればいい

②ハラスメント受けたとき:誰かに相談する、助けてもらうことが大事(ひとりで抱え込まない)

③ハラスメントの現場を見たとき:一刻も早く止める&被害者をその場から離すことも重要

そして何故か、ハラスメントという行為がカタカナだと軽く聞こえてしまうので、以下は「加害/被害」と重苦しい漢字を使います。以下は、話し合いのメインではなかったのですが、気になったことをまとめました。

A.被害者とその支援者のケア(本来の意味でのケア):専門家の手を借りることも重要。支援者のケアは現状では、ほぼないことも問題

B.加害者と企画運営側のケア(反省と再発防止のための学び):運営側を含む権力を持っている側が変わることが重要

 とはいえ、「不快な思いをさせたのなら謝ります」とかは、謝罪にすらなってないことに気が付かない加害者が多いことも問題。なぜ、己の加害の事実を仮定する?同じく「そんなつもりじゃなかった」もよく聞くけど、貴方(加害者の心情)のことを聞いているわけではなく、被害者が受けた被害事実について語ってくれと思うことも多い。己の罪を認め謝罪することが、そんなに難しいことなのかと思う(社会的地位とか権力を持っている方ほど「間違う」ことに拒否反応がでてしまうのかもしれない。不寛容な社会の弊害かなとも思う)。

 余談ですが、私は匿名の第3者が加害者へバッシングするのは良くないと思っています。バッシングされることにより、加害者が自己の加害を直視することができず、反省の機会が奪われることにもなりかねないと、私は思うからです。罰(バッシング含む)を受けるからやらないのではなく、自己のふるまいを振り返り被害者の心情を想像して、二度と繰り返さないと加害者が心の底から思えることが必要だと思うからです。それでも、被害を受けた方は加害者を許せないと思うし、それでいいと思います。だから、加害者になる前に気が付いて思いとどまろうと思うし、誰かが加害者になりそうな時は止めてあげられるようになりたいとも思いました。

 声を上げた被害者と被害者を支える方々が、社会的に「面倒な人」扱いをされている現状を聞いて、とても残念な気持ちになりました。それでも、私も積極的に「面倒な人」に成らざるを得ないよなぁ、とも思いました。今回の話し合いを聞いてて、私もハラスメント行為を受けていたことに気が付きましたが、それらすべてを苦も無く払いのけていました。こんな芸当ができるのだから、③の「一刻も早く止める」はできそうなので、今後も精進します(但し、気付けるのか問題はある)。

 

舟迫

今回の話し合いを通して、第三者として「行動すること」の難しさも強く感じました。

まず、ハラスメントに気づくこと自体が容易ではないこと。さらに、気づいたとしても、どのように関わるのが適切なのか、その場その場で判断を迫られる難しさがあります。良かれと思って取った行動が、かえって状況を悪化させてしまう可能性も否定できません。

そうした現実を踏まえると、個々人が学び続ける必要性を感じると同時に、より大きな構造や価値観と向き合うことの難しさも意識させられました。それぞれに「正義」があり、単純に対立構造として捉えられない問題であるからこそ、安易な答えを出すことができないのだと思います。

話し足りなさや、明確な結論の出なさはありましたが、その不確かさも含めて共有できたこと自体が、今後考え続けていくための一歩になったように感じました。