自身の家族のルーツを入り口に、土地の歴史や文化、人々の記憶をリサーチし、身体表現として立ち上げようとしている小松菜々子さんの活動支援を、人材育成メンバーの成田からご報告します。
https://www.komatsu-nanako.com/
・【審査結果のお知らせ】アーティストの創作活動支援プログラム
https://ais-p.jp/news/2025/09/12/artist/
小松さんの家族に縁の深い北海道函館市は幾度も大火に見舞われていますが、その都度復興を成し遂げています。昭和9年(西暦1934年)函館大火の際は、その翌年に復興1周年祭として函館港まつりが開催されました。小松さんは函館市立博物館にある記録の中から、焼け野原で開催されているお祭りと盆踊りの映像を見たそうです。小松さんが現在住んでいる神戸市長田区は、阪神淡路大震災(西暦1995年1月17日)で被害の大きかったエリアのひとつであり、毎年その日には早朝4時から町の各場所で灯篭が灯され、お菓子や炊き出しの豚汁が振る舞われ、それらを目当てに子どもたちが町の各拠点を走り回りまわるそうです。地域の方々が持つ深い悲しみと、お祭りとしての楽しさが一緒の空間に存在する姿から、まちの再生と文化が次世代に受け継がれていくのを目の当たりにしていると小松さんは語ります。
小松さんは当初から盆踊りやお祭りと地域やその土地に暮らす人々の関係性、祭りを支えるエネルギー、グルーブ(高揚感)などに興味があるようで、地域のお祭り関係者へのリサーチを希望していました。そこで、私の10年来の友人で笛や太鼓で祭りに参加している方に打診してみたところ、快く聞き取り(リサーチ)の場をセッティングしてもらうことができました。しかも、彼の所属する豊水地区万灯保存会の会長も同席してくれるとのこと。ありがたい限りです。
日時:2025年11月22日(土)13:00-15:00 @豊水会館 福まち
話し手:豊水地区万灯保存会 会長池田健次さん、渡辺義人さん
聞き手:小松菜々子、成田真由美

山車やお道具類が保管されている豊水会館
1.札幌まつり(北海道神宮例大祭)について
札幌まつりは毎年6月14、15、16日に斎行される北海道神宮例大祭の通称です。中島公園では数多くの屋台が軒を連ね、お化け屋敷などもあり、かなりの賑わいで、こちらが本体かと思ってる札幌市民もチラホラいるほどです。北海道神宮境内では奉納舞台(巫女舞や様々な芸能が奉納)が行われ、様々な神事と共に神輿渡御が行われます。
神輿渡御とは、北海道神宮から神様が乗った神輿(4基:大国魂神・大那牟遅神・少彦名神、明治天皇)と祭典区の山車(9基)が、平安時代の装束をまとった約1,000人の行列とともに札幌市内を練り歩き、北海道神宮頓宮へ向かうものです。笛や太鼓の音が響き渡り、札幌の街が一体となって盛り上がる様子は夏の風物詩です(札幌まつりWEBサイトより)。順路は毎年変わりますが往復約14㎞ほどあり、9:30頃から16:30頃までかかります。札幌市内の一体感はどうかしている程で、神輿渡御の日の市内は大規模な交通規制が行われ、「神様の前は横切れません!」と行く手を阻まれることもあります。さらには、札幌の中心部大通4丁目(札幌市民が「まち」というのはこの辺りを指すほどの中心部)交差点を封鎖し、さらにさらに2015年に延伸し循環運転をするようになった札幌市電も数駅閉鎖して非循環に戻してまで祭儀を執り行います。なによりも驚くのは、札幌市民はこれらのことを「当たり前のこと」と認識していることです。ひと昔前は、会社や学校も休みになっていたとも聞きます。それらすべてが、外の視点を持つアーティストや、新しい移民の私には驚愕なのです。

大通西4丁目交差点を封鎖して行う祭儀
撮影:2023年6月16日
札幌神社(現北海道神宮)の例大祭は明治5(西暦1872)年、神輿渡御は明治11(西暦1878)年に始まりました。当時は、「祭政一致」の理念のもと明治政府が推し進める「開拓」の一環として、開拓使本庁通達により始まりました。そして、明治6(西暦1873)年から奉納相撲や手踊りなどの催しが行われるに従い、地域住民に親しまれる祭典となっていったようです。当時の札幌まつりは消防組が祭礼の世話をしていたようですが、明治25(西暦1892)年、当時の行政区であった「札幌区」を4分割し、それぞれに祭典委員が置かれました。以降、祭典区は祭礼に関するすべての事柄を、持ち回りの「年番」制で担当するようになったそうです。今回お話を伺った第四豊水祭典区は4番目にできた祭典区とのことです(明治26(西暦1893)年設立)。その後、札幌の市域拡大や制度の変化、北海道神宮(札幌神社)の講社と関わりながら変化し、現在は31の祭典区があるようです。
そのうち山車を保有しているのは9つの祭典区となります。今回お話を伺った第四豊水祭典区は、大正7(西暦1918)年に建造した、素戔嗚尊(須佐之男命)を戴いた山車を保有しています。山車にはお座敷のような空間があり、舞踊を披露する方々とお囃子(篠笛、太鼓、三味線など、響乃会)の方々が乗り、途中途中で芸を披露します。これは、明治11(西暦1878)年の例大祭に薄野の芸妓、常磐津連中(歌舞伎や舞踊の伴奏など音楽を担当する方々)などが車二台で繰り出したのが始まりだからだと言われていますが、山車がいつから始まったのか、正式な記録が神宮には残っていないそうです(記録は残っていませんが、第一本府祭典区が最初の山車を出したと言われているそうです)。

大通西4丁目交差点に入る山車群
先頭は手古舞の方々
撮影:2023年6月16日
2.豊水地区、第四豊水祭典区について
豊水地区は、概ね札幌市中央区の南北は南4条~南15条、東西は西1丁目~西4丁目のエリアを指します。札幌市の「豊水地区の出来事」によると、明治4(西暦1871)年に開拓使が現在の南4、5条西3、4丁目の二町四方に官許遊郭をつくり、飲食店、旅人宿、貸座敷を集めました。大正9(西暦1920)年に遊郭を移転、跡地に喫茶店やバーなどが建ち並び、やがて今のにぎやかなススキノが形成されていきました。また、明治20(西暦1887)年には豊平川と鴨々川の中島に中島遊園地(現中島公園)が開園し、花園や池などを徐々に加え、人々の憩いの場となったとのことです。
- 札幌市中央区WEBサイト「豊水地区の出来事」
https://www.city.sapporo.jp/chuo/hosui/news.html
現在このエリアには、北海道最大の歓楽街・繁華街すすきの、豊かな緑と木材を集積するための貯木場として作られた菖蒲池(しょうぶいけ)のある中島公園、かつては「大友堀」とも呼ばれていた用水路である創成川(上流部は鴨々川と呼ばれる)があり、東に一級河川の豊平川が流れています。「豊水」という名称は、水が豊かなエリアだったからではないかと言われています。また、このエリアは札幌市の豊水地区連合町内会、北海道神宮例大祭の第四豊水祭典区のエリアとほぼ重なります。他にも札幌市の連合町内会の区分は北海道神宮例大祭の祭典区と重なるエリアも多いようです。

札幌市には「豊水」という住所はありませんが、地下鉄東豊線には「豊水」を冠する駅があります
地元住民の要望により、この駅名が実現したそうです
第四豊水祭典区には、総務部(代表委員)を筆頭に、山車部(山車の管理や町内曳きの仕切りなど)、女性部(祭り当日の食事や衣装などの管理)、万灯部(豊水地区万灯保存会、お囃子担当)があります。それぞれの部が違う役割を担いながら例大祭に臨むそうです。他にも、昭和57(西暦1982)年創設の「すすきの北祭會」(主にすすきの祭りでの神輿全般の企画・構成などを行う)や、さっぽろ名妓連(芸妓文化の伝承・保存ならびに担い手育成のための支援事業を行う)、響乃会(山車に乗り、篠笛、太鼓、三味線などでお囃子を担当する)とも協力しているそうです。
- すすきの北祭會 facebook
https://www.facebook.com/hokusaikai/
- さっぽろ芸妓育成振興会 WEBサイト
https://www.sapporo-cci.or.jp/geigi/

豊水会館(旧豊水小学校)にある山車庫
3.「祭り」について
豊水地区万灯保存会会長の池田さんは、個人の見解であると断ったうえで「祭りは文化」だとおっしゃいました。北海道神宮の例大祭は神道を基礎としたお祭りではありますが、地域に根差し、日々の生活を豊かにする潤いでもある「祭り」は、日常と非日常のあわいに存在し、人と人を繋げる役割も持つとのこと。「祭り」は、信仰・宗教行事を越えた文化であり、それは楽しいだけじゃない日常を支えるものだとも。「開拓」期に故郷を思う入植者の方々から自然発生的に沸き起こった心の拠り所が「祭り」なのかもしれないともおっしゃってました。地域の人々(コミュニティ)を繋ぐ文化である「祭り」を次の世代に繋いでいきたいと。生活に根ざした文化である「祭り」は、時代や地域により緩やかに変化してきたし、これからも変化するかもしれないし、それでいいと語っていました。
他にも直会にすべてが集結することや、「祭り」と地域の人々、団体との関係性についても貴重なお話をたくさん伺ううちにあっという間に時間が過ぎ、池田さんは「道具類も見せてやって」と義人さんに言い残して次の予定に行かれました。お忙しい中、ご対応いただき感謝いたします。

聞き取りの様子
撮影:渡辺義人さん
4.豊水地区万灯保存会について
豊水地区万灯保存会は、万灯(まんど)と呼ばれる笛・太鼓などのお囃子と手古舞を継承しています。万灯部・保存会のある祭典区は少ないそうで、豊水地区万灯保存会は北海道神宮祭の他にも、彌彦神社、札幌村神社の例祭にもご奉仕しているそうです。
そして、池田さんは「祭囃子は習い事ではない」とおっしゃいます。どこに住んでいようと「祭り」の3日間を一緒に歩くことが重要だと。義人さんは「うち(豊水地区万灯保存会)は、だれでもウェルカムだから」と笑顔で教えてくれました。オープンな体質の豊水地区万灯保存会ですが、聞き取り対応したのは初めてのことだそうです。札幌市民には、「祭り」が当たり前すぎるからでしょうか、私たちにはそれも驚きでした。
池田さんがお帰りになった後、義人さんから祭りの道具類を見せていただきました。独特な太鼓のリズムを叩きながら「正面から叩くのではなく、歩きながら横から叩くので、慣れるまで大変」と嬉しそうに教えてくれました。きっと彼も「祭り」が大好きで、参加できることが誇りなのだと思います。

近くで聴く太鼓の音は迫力満点
そして、私たちは手古舞の方が持つ錫杖(※注1)を持たせてもらいました。手古舞とは、男装の女性が行列の先頭で錫杖を突いて露払いを務める方々のことです。この錫杖は思ったよりも重く、中々の重労働ではないかと思った次第。

とても嬉しそうな小松さん

錫杖を持つ私(成田)と義人さん
撮影:小松菜々子さん
第四豊水祭典区は山車を人力で曳いています。池田さんは「歩くことが人のリズム」とおっしゃってました。写真は山車庫から山車が曳き出される神輿渡御当日の朝の様子です。写真手前には豊水地区万灯保存会の方々がお揃いの衣装とてぬぐいを被って写っています。身体と環境の相互作用を通じてこの場を形成している瞬間のようで、祭りの朝の高揚感が伝わってきます。
たった一度の聞き取りでわかることは少ないかもしれません。それでも、池田さんと義人さんからお話を伺うことで、今まで気づかなかった「祭り」の一面が視れるような気がしました。来年(2026年)の北海道神宮例大祭、特に神輿渡御は必ず観に行こうと思います。

北海道神宮例大祭当日に山車を曳きだす第四豊水祭典区の方々
撮影:渡辺義人さん
※注1 手古舞の方が持ち地面を突く棒は、木製の棒に金属製の輪が複数個つけられています。修験者や僧侶が持つ法具・仏具「錫杖」に由来を持つと思われ、江戸の祭礼行事に由来する(「金棒(かなぼう)」を持つ「梃子前(てこまえ)」が先導する)とされ、北海道神宮社務所発行の書籍には「鉄棒」(読み方としては「かなぼう」だと思われます)と記載され、関係者には「チャリン棒」と呼ぶ方もいるそうです。今回は「錫杖」として記載します。
- 札幌まつりWEBサイト
http://www.hokkaidojingu.or.jp/festival/
- 北海道神宮例大祭の歴史などに関しての参照書籍
・「北海道神宮例大祭 札幌まつり」北海道神宮 2022.5.20
・「北海道神宮と札幌まつりの歴史」北海道神宮社務所 2019.9.1
・さっぽろ文庫68「札幌まつり」北海道新聞社 1994.3.1
・「昭和57年度 北海道神宮例大祭」 1982
人材育成メンバー 成田真由美