
支援アーティストの小松菜々子さんによる展示・パフォーマンス「スパコイノイノーチ」が、天神山アートスタジオにて開催されました。
本作は、小松さんが神戸から定期的に北海道へ赴き滞在しながら続けてきたリサーチをもとに構成された、成果発表としての展示と、現時点での関係性から立ち上がったパフォーマンス作品です。
展示は1月18日から25日までの8日間、公開制作という形で行われ、来場者が制作中の小松さんに自由に声をかけられる開かれた場となっていました。また展示最終日の25日には、天神山アートスタジオで月に一度開催されている「オープンスタジオ」内でパフォーマンスが上演されました。
筆者(舟迫)は制作途中の展示を鑑賞、さらに小松さんの依頼によりパフォーマンスにも参加者として関わる形で作品を“体験”しました。本稿ではそのレポートと、展示数日後に行った聞き取り内容をあわせて報告します。
展示

会場に入ると、数日前のWSで染められた布片が暖簾のように複数吊るされているのが、まず目に飛び込みます。中央には木のブロックが据えられており、それらを取り囲むようにプラレールの線路が巡らされていました。ほかにも泥炭から顔をのぞかせる恐竜のおもちゃ、小松さんが集めた資料、中央の壁に貼られた北海道の白地図には、小松さんがこれまで道内を巡って来た道程が記されていました。また、小松さんの神戸での活動の映像や、リサーチ中に撮影された映像も常時流れていました。

小松さんのリサーチは、北海道のお祭りの調査からはじまり、小松さんの祖父が遺された自叙伝にまつわるもの、泥炭という土地の素材など多岐に渡ります。それらが展示空間全体に散りばめられており、小松さんのリサーチの様子をうかがい知れるものとなっていました。完成された作品というよりも、半年間の滞在で出会ったものの記録や思考の軌跡として提示されており、日記的かつアーカイブ的な側面を感じました。
公開制作という形式もあり、会場は常に変化し続ける途中の状態にありました。訪れるタイミングによって配置や印象が変わるそのあり方自体が、リサーチのプロセスを共有する試みのようでもありました。

下写真はパフォーマンス前日の展示の状態。以前訪れた時にはなかった、草木染めの布が増え、プラレールの線路も繋がっていました。差し込む光が、布を通して陰を作り、展示にレイヤーを加えていました。

パフォーマンス
パフォーマンスメンバーは、小松さんを筆頭に創造活動支援メンバーの中から磯田さん、HIKARIさん、トマトさん、そして舟迫が参加しました。
磯田さんとHIKARIさんは小松さんからの声かけをきっかけに、トマトさんと舟迫は「何か手伝いたい」と自ら手を挙げての参加です。それぞれ創造活動支援という場で出会い、半年という短い期間ながらも互いへの信頼を育んできました。小松さんはそれぞれの個性を見ながら配役を考え、パフォーマンスの内容を詰めていきました。
下の写真はパフォーマンスに向けた打ち合わせの様子。ツアーの行程を一つひとつ確認しながら、小松さんのアイディアをもとにメンバー全員で内容を練り上げていきました。
そして当日25日、札幌は20年に一度とも言われる大雪に見舞われました。当初、雪の影響で人があまり来ないことが懸念されましたが、天神山のオープンスタジオならび小松さんのパフォーマンスは予定通り開催。そして、予想に反して多くの方が参加されました!
パフォーマンスは天神山アートスタジオ内をツアー形式でまわりながら、参加者がパフォーマンスや小松さんによって仕掛けられた様々な出来事を体験していくというもの。各回約30分、最大8名程度の定員で行われ、日本語ツアー2回、英語ツアー1回の計3回が実施されました。
まず参加者は日本語回トマトさん、英語回は舟迫が扮するツアーガイドについて、ツアーをスタートします。ツアーガイドは「山」をキーワードに、事実とフィクションが入り混じる語りで参加者を導いていきます。1階入口からはじまり、事務所前を通過して2階の滞在スタジオへ向かいます。
(写真左はツアーガイドに扮したトマトさん、右は今回の衣装を身に纏ったHIKARIさん。HIKARIさんはビーチコーミングで拾った貝殻をアクセサリーにし、首から下げています。)
ツアーは2階に入ると、参加者の前にHIKARIさん扮する「おばけ」とも取れる、不思議な存在が現れます。HIKARIさんは、うたうように扉に付けられた名前を読み上げていきます。実は各部屋ごと異なる札幌の地名がアイヌ語で名付けられているのです。
その流れで小松さんの滞在している部屋内に案内され、室内へ入っていきます。小松さんが滞在している天神山の一室は、Aスタジオと呼ばれる、よくビジネスホテルにみられる形状の部屋。簡易的なキッチンスペースと、デスク、ベッド、そしてドアで区切られたところにバスルームが配されています。ここでは窓から山を眺めたり、リサーチの断片を垣間見る時間が設けられました。
やがてバスルームから歌声が響き、扉を開けると内部はディスコのようなきらびやかな空間へと変貌しています。小松さんの遊び心と、生活空間と作品の境界が曖昧になる印象的な演出です。

歌の終わりと共に部屋を出ると小松さんが待ち受けていました。
このタイミングで2階の窓から1階を見下ろすことができ、もう1人のツアーガイドに手を振ります。今回のツアー、敢えて輪唱のようにずれてツアーがスタートするように組まれていました。そのことにより、参加者に自分の位置を立体的に認識させるような不思議な感覚を与えます。
現実に引き戻されたような不思議な感覚の後、また別な世界へ引き込まれるように、小松さんが山と神様の話を語り出します。
話の終わりには木彫りのくまが参加者の手から手へと回されました。北海道の象徴とも言えるこの’くま’は筆者の祖母から譲り受けたものであり、私自身としては世代を越えて受け渡されてきた背景が、ツアー内の「手渡し」という行為と重なり心に残りました。

つづいて待ち受けていたのはHIKARIさん。小松さんとHIKARIさんが目を合わせ、空気が静まります。ふたりが詩を交互に口にし、誘われるようにランドリールームに入っていきます。そして、HIKARIさんの歌がはじまり小松さんがそれに合わせて踊ります。

ランドリールームという狭い空間の中、触れそうな距離で踊る小松さん。

そしてツアーは終盤へ、雑談を交えながら階段を下り小松さんの展示場所へ戻ります。そこにはおみくじが吊るされており、参加者はそれぞれおみくじを取ります。そしてその中には1人だけ当たりが。当たりの出た人のみが「磯田さんのお茶」を飲めるという仕組みです。
談話スペースを茶室に見立てたところには、磯田さんが準備をして待っています。はずれた人にもお抹茶ではないですが、お茶やお茶菓子を供してくださる親切な仕様。はずれおみくじに書かれた質問に答えたり、参加者でパフォーマンスを振り返ったり、和やかな時間を過ごしてツアーを終えました。
余談ではありますが、磯田さんがこの日持参された茶道セットにはひとつひとつエピソードが。茶器には、磯田さんが以前住まわれていたスイスのもの、富士山が図柄にあしらわれたものなどを使用。茶器を入れる茶びつはそのエッジが美しい山なりの曲線を描いたものを、茶匙も天神山の麓にある唐松で作られたものと、それぞれ山を連想させる道具たちを選ばれたそう。
こうした磯田さんの細やかなアイデアや気配りをはじめ、小松さんの意図を受け取りながらも、そこにとどまらず、それぞれが自分なりの解釈で広げていたことも、このパフォーマンスの面白さのひとつだったように思います。
展示・パフォーマンス後、聞き取り

ここからは、パフォーマンス数日後に行なった聞き取りをもとに、制作の背景やプロセスについて紹介していきます。展示・パフォーマンス直後で、振り返るには尚早なタイミングでもありましたが、その時点だからこそ語られた率直な戸惑いや余韻も含め、当時の空気感とともに記録しました。
またこの時、制作に大きく関わったHIKARIさんにも同席いただきました。HIKARIさん自身の視点から補足をいただいたり、小松さんへ問いを投げかけたりと、対話のかたちで振り返りは進んでいきました。
1|制作プロセスについて・どのように思いついたのか
まずは制作プロセスと今回のパフォーマンスのアイディアをどのように考えていったのかに焦点を当てて、伺っていきました。
小松さんは「結果を求めて制作していたわけではなく、明確な目的を先に設定していたわけでもなかった。ひとつのコンセプトのようなものはありつつも、それに囚われすぎず、『今この時期に何がアウトプットできるかな』ということを考えて並べてみた、という感じ」といいます。
展示の方もイメージ自体はあったものの、具体的な形を決めていたわけではなく、たまたま現地で出会えたものの中で「今やっていることにきっとどこかしらで繋がるだろうな」と感じたものを拾い集めた結果、現在の形になっていったそうです。
◯拾う時と配置の判断
「拾う時はなにかそのものに対してピンとくるものがあるのか、どういった感覚なんですか?」というこちらの質問に対し、
「まあ手探りですけどね」と答えてくれる小松さん、「何かそれに確信があるというわけでもないし、なんかこっちいってみたら面白いかもというかんじ、これを持ってきたからこうなるだろうというのは自分でもわかっていない」と話され、最終的に何かが相対的に見えたかというと謎ではあるけれど、そういうものの連続の中で何かが見えたら、という気持ちで選んでいったそうです。
ここでHIKARIさんから、「最初は置いてあるものの中で、こういうものを置きたいとか、図が見えるとかいう感じなのか?」という選んだものを展示・配置する際についての質問も出ました。
それに対し小松さんは、「最初は例えば草木染めは一枚の布にしようかなというイメージだったけど、(作っていくうちに)凄い大きなもの作らなくてもいいなと思ったり」映像に関しては、「天神山のスペースの兼ね合いでどこに展示できるか、小さくなるのか大きくなるのかギリギリまでわからなかったので、現地に入ってから決めていった」といいます。映像については年末年始に制作していたものをベースにしつつ、札幌に来てから一部変更を加えながら使用したとのこと。また、天神山であったものなど、ありもので結構作らせてもらったりもしたそう。
◯泥炭の文脈
展示に扱われていた泥炭についても伺ったところ、「泥炭は以前から扱いたいと思っていた素材」だったそう。ピートという札幌特有の土地性や炭鉱文化と繋がりのある素材に関心を寄せていたから、と。(※分解が進めば石炭になるもの、ならなかったものが泥炭。)また、以前から草木染めをしたりしていた流れで、マテリアルとしても興味があったそう。
「それをどうやったら農地に変えられるかとか、札幌ってすごい人工の川が多くて、真っ直ぐな川とか、それは泥から水を抜くためにも作られたものでもあって・・・」
泥は人にとって厄介な存在でもありますが、それを克服してきた歴史が札幌のテーマのひとつにあるのではないかと感じ、象徴的な素材として扱いました。「触感的にも、マテリアルとしても、’人間と土’など根源的なテーマでもある」と考える小松さん、今後の作品にも取り入れていきたいと考えているそうです。
また北欧では、それぐらいしか燃やすものがないからという理由でピートを燃料として活用する地域もあったそう。その利用が地球温暖化へと繋がっているため現在も使われている場所が残っているかは不明だけれども、そういった側面も泥炭/ピートにはあると話されていました。
◯トミカはなぜ?
つづいて、やはり展示の中でも目を引くトミカの話題へ。
鉄道と炭鉱文化の関係性、レールの水色は川のイメージもあるなと思い取り入れたそう。たまたま近くのリサイクルショップで、寝台列車カシオペアを見つけ、青森から函館に’青い森鉄道’といって、炭鉱労働者の人が渡ったという話も聞いていたので、その鍛鉄鋼のイメージと重なったといいます。ここでもまたリサーチの中の断片から要素が繋がっていました。
2|リサーチの盛り込み方
私が気になったのは創造活動支援メンバーの成田さんの綿密なレポートが、展示に組み込まれていたことでした。その他にも他の創造活動支援メンバーや、アーティスト、上士幌のレジデンスなどと連携し、リサーチをしてきた小松さん。そういった具体的なリサーチをどのように展示に盛り込んでいったのか、その意図など深掘りしてきました。
「成田さんもすごい熱量を持ってやっていただいて・・・、そういうものは、それは私の作品ではない、どちらかといえば成田さんが作ってくれたものだけど、なかなかアクセスできないようなことが書いてあったし。成田さんもブログでは公開しているけれど、そんなに「自分が書きました」と発信していなかったからこそ、そこにあった方が紙として見る人もいるかもしれないし、いないかもしれないけど。読めたらいいなと。このタイミングで出会った人と、どういうものをやったのか(展示に)あったら良いと思った・・・」
と、言葉を選びながら、慎重に語られる小松さん。
「半年間を振り返ったとき、出会った人や出来事は必要不可欠なものだったとおもう。そういうものがあったから、自分がたどり着けたものとかもあるから。」
そんな深くは考えてはないですけど・・・と加えつつ、展示には本や資料も含め、自身の制作物だけでなく、この半年間に出会ったもの、見つけたもの、培ったものを、ある意味日記的・アーカイブ的に配置していった。ということでした。
それはある意味で小松さん自身の目線、と出会いながら作品にしていったと結ばれていました。
3|パフォーマンスのクリエーション
つづいて、パフォーマンスの具体的なクリエーションについて迫っていきました。
準備期間がそれほどない中、昨年末(2025年末)時点でひとまずHIKARIさんと磯田さんに声をかけていたそう。草木染めWSをしている場にHIKARIさんが訪れたことがきっかけで、その時の触感から「頼んでおいたほうがいいな!」とピンときたそう。磯田さんに声をかけたのも同じタイミングで、明確な計画というよりは直感的な流れだったといいます。
そして、年が明けてから磯田さんの歴史「磯田史」を聞く機会を設けられたそう。声をかけた当初は磯田さん自身の持つ雰囲気からパフォーマンスでは何もしなくても良いかなと考えており、存在そのものが面白いのではと感じていたそうですが、対話の中でポテンシャルの高さを感じていかれたと言います。何を言っているのかわからなくなるほど、磯田さんのお茶への強い関心や熱量に触れ、役割が自然に見えてきた、と。
HIKARIさんは、以前磯田さんと話した際、茶道について思うところはあるものの、自らそれを表現することにはどこか一歩引いているような印象を受けていたといいます。ただ、同時に本人の中に「やってみたい」という気持ちも感じていたそうです。
その話に小松さんも頷きながら、「今回は磯田さんもはじめてのことで、キャパもないだろうし、お茶だけにしたが、ほんとはもっと喋らせたかった。」と語りました。
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HIKARIさんとは音について多く相談し、一緒に館内を歩きながら、やりたいこと、を見つけていったと言います。各部屋でギターを鳴らして響きを確認するなど、空間そのものと、そこで生まれる音の響きを探る実験的なプロセスが重ねられたそうです。
「そういうところに対してHIKARIちゃんはアンテナのある人だから、私では気づけないけど、ここではこういう音がするから・・・とかアイディアをもらいながらやっていた」と小松さんは振り返ります。
一方でHIKARIさんは、「そもそも小松さんが天神山という空間と音を結びつける発想が面白いなと思った」と話します。「女子高生の幽霊がいるかもしれない」といった想像や、天神山アートスタジオという“許されている空間”の面白さに触れながら、「音の中に空間が入ってくる」という視点が、小松さんならではの新しい発想だと感じたそうです。
そうして一緒にクリエーションしていた際に出た、ヒグマや津波の話など小松さんのリサーチ話題や対話の中から、洗濯機のところで歌った歌、言葉が生まれていったと言います。小松さんがパフォーマンスとして今後の方向性などをぽろぽろと喋っていたら、HIKARIさんがそれを拾い、そこからすぐに歌を作り上げたそう。
「HIKARIちゃんがいなかったら・・・おわってました」と笑い混じりに語る小松さん。作品も楽しかったけれど、かなりバタバタで作り上げていった所感だったそう。実はトマトさんと舟迫が具体的に打ち合わせをしたのは前日のみだったり、いろいろありましたねと笑いがこぼれました。
ただその点に関しては、パフォーマー同士は顔見知りになっていく内に、こういう「土壇場力」みたいなのがある意味で知っていたから、と。「トマトさんとかもどこででも大丈夫だろうな、みたいな感じは知っていたし、はじめましての関係ではできなかった。今も多くを知っているわけではないが、来るたびに顔を合わせていたから・・・」と、信頼のようなものがあったからできたと言います。来るたびに顔を合わせ、少しずつ関係を重ねてきた時間が、あの場の即興性を支えていたのかもしれません。
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また、HIKARIさんからは草木染めワークショップでのエピソードも語られました。熱源を同時に使いすぎてしまい、途中でブレーカーが落ちたことがあったそうです。当日は天神山の休館日でしたが、守衛さんの協力で復旧できたといいます。その際、小松さんは焦らず「なんとかなる」「ゆっくりやろう」と声をかけていたとのこと。その姿勢が印象に残っている、とHIKARIさんは振り返ります。また、小松さん、HIKARIさん、舟迫の3人で白老を訪れた際も、大雨予報のなか「まあいけるだろう」と向かい、結果的に雨をすり抜けた経験がありました。こうした出来事を振り返り、HIKARIさんは「逆に、半年でこれだけ出来てるのはすごいのでは?」と話していました。
HIKARIさん自身いろいろな表現に挑戦できて良かったという話、普段パフォーマンス系の作品を見ないという参加者から「とても楽しかった」という感想をもらえたという話も出ました。
4|総じて、今後どうしていく? アーカイブについて
(インタビュー当時)会場の復旧はすぐ終わり、きれいになったように見えるが、小松さんの部屋の中は「まだカオスな状態」と微笑む小松さん。振り返りもこれからだといいます。それでも「今やれて良かった」という感覚があり、「リサーチだけしてても意味がないというか、これがどう実直に作品と関わっていくかとかは、アウトプットしてみないと、人に見てもらわないと、自分の中だけでは消化しきれなかったり、わからないところがある、ここでどう提示できるかは実践に変わった時に消化されるものなのかなと思う。」と言います。
タイミングとしては少し早かったかもしれないと感じつつも、寝かせておくより次に繋がりやすい形になったと捉えているそうです。
今後としては、本来行いたかったお祭りのリサーチを継続予定で、今回リサーチの中でお話を聞けた保存会の人のお祭りや紹介してもらったお祭りを可能な限り訪ねていきたいと考えている、と意欲を見せられていました。創造活動支援メンバーチームとも継続的に関係を保ちながら制作を続けていければ、と語られていました。
「ただ、冬はもういい」と冗談半分に話す小松さん。お祭りが少ない季節のため、今度は夏にきたい。とのこと。












